旅行の帰り、電車でArianaの曲を聴きながら考えたこと。
5/22の夜、イギリスのマンチェスターで行われたAriana Grandeのコンサート終了直後、自爆テロが起こった。私はその事件を南仏旅行中に知った。
それから数日経った今日、ニースから帰る電車の中では、自然とAriana GrandeのDangerous Womanのアルバムを聴いていた。Arianaの伸びやかな声を聴きながら、私はいろんなことを頭の中で思いめぐらす。
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考えてみたら、私がパリで生活を始めてから私が行きたいと思ったコンサートはたくさんあった。2月にThe Chainsmokers、4月にEd Sheeran、5月にはBebe Rexha、Shawn Mendes、そして6/7に予定されているAriana Grande。特にBebeとArianaは本当に行きたかった。辞めた理由はというと、母に反対されたからというのが正直なところだった。
「そのコンサートでテロが起こって○○(私)が死んだら、後悔してもしきれない。旅行などはしてもいいから、コンサートに行くことだけはやめてほしい」
こう言われた。
確かに私も留学先でテロで命を落とすリスクを減らすべきだと思ったので、しぶしぶながら了承した。
そして、結局The ChainsmokersもEdもBebeも、パリのコンサートでテロは起こらなかった。なんだ、行っても大丈夫だったじゃんと思った。
でも、そう思っていた矢先にManchesterのArianaのコンサートでテロが起こった。
そのニュースを朝携帯で見たときに(前日は早く寝てしまったし泊まった場所にはテレビがなかったので知らなかった)、心底驚いたと同時にとても怖かった。文字にしたら陳腐に見えるけれど、本当に心の中から、怖かった。
テロに遭っていたのが自分であっても全くおかしくなかったと気づいたからだ。
ManchesterのArianaのコンサートと、パリのEdの、Bebeのコンサートの違いってなんだろう?何の差がテロの有無を作ったんだろう?
…何もない。
誰が自爆犯になるか、だれが過激派の一味となるかわからないこの時代、どこで何が起こってもおかしくない。
そしてさらに私はこう思う。もし私が母との約束を破り、こっそりとパリで誰かのコンサートに行っていたら?と。
99%以上の確率で私はコンサートの楽しい余韻に浸り、とてもいい日だったなぁと思って、ウキウキ帰り道を行ったと思う。会場で買ったグッズを鞄から覗き見ながら笑顔が絶えることはないんだろう。母には申し訳ないと思いつつ、でもやっぱりテロは起こらなかったじゃん~と言いつつ、母にその出来事を話してあげるだろう。
でも、もし自爆テロの標的に彼らが私が行ったかもしれないコンサートを選んだら?もし自爆犯が私の近くで犯行を行ったら?
一瞬にして私の楽しかった思い出は悪夢になる。最悪の場合思い出はその命とともに奪われてしまう。
日本は他と比べとても治安が良いし、今のところ昨今の一連のテロが起こってもいない。そこからパリに移り住んだ私にとって、ヨーロッパに住むことはテロをより身近に感じさせる。
パリでは私が留学中のこの数ヶ月だけでも何度も事件が起こっている。規模はそんなに大きくないから日本ではほとんど記憶に残ってないかもしれないけど、ルーブル美術館での事件やシャンゼリゼ通りでのテロがあった。
パリの日常生活においても、テロの危険は常に意識できる。パリの街中やメトロの駅などには軍の兵士が巡回しているし、何の建物に入るにしてもまずは荷物チェックと身体検査をされる。観光地や美術館はもちろん、ショッピングモールまで。フランスの日本大使館からの注意喚起やテロについてのメールはしょっちゅう来るから、いやでもテロのことを意識せざるを得ない。
それでいて、私はどこかまだ他人事だった。テロはどこでも起こりうるけども全ての場所で起こるわけではない。テロが頻発しているヨーロッパに住んでいたとしても、たまたま私が行ったときにその場所でテロが起こるなんて偶然はないに等しい。心のどこかでそう思っていた。
今回のマンチェスターでのテロはそんな考えを一気に崩した。
もうここでは絶対に安全な場所なんてないんだ。
私たちは何をするにしてもテロの心配をしなくちゃいけないし、それが終わった後に純粋に楽しかったと余韻に浸る心の片隅で「今回はテロが起こらなくてよかった」と思わなくちゃいけない。本当だったら必要のないはずの感情まで、テロのせいで抱かなくちゃいけないんだ。
そう感じて、また悲しみが膨らんだ。
帰国まであと2週間。
被害に遭われた方ならびにそのご遺族に心よりご冥福をお祈りいたします。